ドッヂボールのトラウマ

小学生の頃体育でよくやったドッヂボール。私は大嫌いだった。今もトラウマ級に嫌い。当時の自分の気持ちを思い出すと涙が滲み胸が苦しくなる。ドッヂボールは私にとって恐怖の時間でしかなかった。

ボールをキャッチすることも投げることも苦手だから、ひたすら当たらないよう逃げるしかできない。いつもボールをこちらに向かって投げる人の恐ろしい敵意に慄いていた。投げる役の人は大抵上手で強いボールを投げるから当たると痛いし。当たりたくないから必死で逃げ、逃げるからこそ恐怖の時間は長引き、周りの人が減って相手からの敵意が自分に向けられる確率も上がり、恐怖のレベルも上がる。その恐怖といったら、私には恐怖映画で段々と人が殺され、生き残っている人くらいの感じだ。こんな時間を、私はただひたすらに耐えていた。

「やりたくない」と誰かに伝える選択肢は、当時の私には思いつきもしなかった。なぜだろう。私にとって授業は絶対に出席しなければならないものだったからかな。体調が悪くてもギリギリまで耐えていたし。あまり本音や悩みを言えないタイプだということもある。

これを思い出す事は辛いけれど、恐かったね、辛かったね、とあの頃の自分を抱きしめて当時の私を癒す事に繋がった気がする。

やりたくない事をやりたくない、嫌い、苦手、って言ってもいい、それはダメじゃないしそんな自分も認めてもらえるんだと最近になってやっと理解できるようになった。

これを思い出していた時に、6歳の娘にも話した。「私は子供の頃ドッヂボールが嫌いで恐かったんだよね。でもやりたくないって言えなくてね」と。それで、娘に学校でどうしてもやりたくない事があったらどうする?と聞いてみた。そうしたら「その時はやらないで他の事をしてもいいんだよ」とのこと。先生やクラスが、お互いを認め合うあたたかさを持つ事に感謝した。

日本はなんとなく苦手でもどうにかしてやらせる雰囲気があるように感じる。苦手も認め合う雰囲気があるとみんな生きやすくなるのにな。苦手をやらせるとしても、そのアプローチがまずその子の気持ちに寄り添うところからのスタートである事を願いたい。