自己否定さえ否定しなくていい

大人になってから「ジャッジしない」という在り方に出会った。ここで言われていた「ジャッジしない」とは、善い悪いの判断を下さないということ。
それを知り自分を振り返ると、私はこれまでずっと物事を善い悪いで判断していた事に気づいた。おそらく、子供の頃から家庭内の躾や絵本、テレビ、漫画、アニメ、幼稚園や小中高、あらゆる場所での規則などによって知らずしらずのうちに善悪の価値観が育まれ、ずっと世界を善い悪いの色眼鏡をかけて見ていた。自分の思う「善い」からはみ出る事、はみ出す人は「悪い」ものと勝手に決めつけていた。

社会人になってからは、ポジティブ思考が良しという教育を受けいつもポジティブであろうとしていた。でもそれは同時にネガティブになってしまう自分はダメだと自己否定することに他ならなかった。

無理矢理の極端なポジティブ思考がネガティブを産んでいることに全く気づいていなかった。精神的に調子の良い時悪い時の差がものすごく激しかった。そして上司からは波があること自体を否定され、自らも波がある自分を否定した。
これは仕事を辞めて結婚してからも続き、調子が悪くなるたびに自己否定し自分自身を責め続けてきた。

ネガティブを否定するポジティブ思考はポジティブじゃない、善し悪しでジャッジせずネガティブな部分も肯定できてこそポジティブ思考だ、という考え方に最初に出会ったのはいつだっただろうか。多分ポジティブになれない自分にかなり悩んでいた頃。
でもそれを知ってからも、それがどういう事なのか本当のところはよく分かっていなかったように思う。

だからそれ以降も何度もネガティブな波にさらわれ底に落ちて自己否定のループに苦しんで、そこで必死にもがいているとまた違うところで「ジャッジしなくていい」という考え方に出会う。それを何度も繰り返してようやく腑に落ちてきた。

自己否定することも否定せず「あ、私今自己否定してる」と気づいてあげ、「そうか、辛いよね」とその気持ちを味わってあげるだけでいいらしい。
そうするとしばらくしてすうっと辛さから抜けられる。ネガティブな感情を許し、ネガティブもいいよ必要だよ大丈夫だよ、と受け入れてあげる。それって大きな愛なんだなと今はすごくよくわかる。

自己肯定感って、何かができた時、頑張っている時に肯定される(認められる、褒められる)よりも、できない時や頑張れない時の自分も許し受け入れてもらえた時にこそ高まるんじゃないかと思う。

「自分はダメな部分があっても価値がある」
「こんな私も私で魅力的なんだ」
「どんな自分も愛していい」

それこそが真の自己肯定かもと気づいたから、自己否定する自分も許し認めて愛してあげることにした。