身体の本音?

私はなかなか自分の本当の気持ちを言葉に出せない。

でも今ふと思ったのだけれど、身体の本音?は受け止めてその欲求に素直に従っているかもしれない!!そこに気づいてビックリ!笑

 

眠気には抗わずに寝るから徹夜なんて出来た試しもないし、月経中や妊娠中は眠くなるからよく寝た。眠い時は結構寝るし、身体がだるい時はダラけるし、食べたい時は食べ、食べたく無い時は食べない。朝は目覚ましのアラーム無しで目が覚めた時にスッキリ起き、夜は早寝。運動がしたい衝動でマラソンをしていた時期もあるが、したくなければしない。運動習慣はやりたい時にやりたい事をやるだけ。笑

 

小学生の頃から疲れが頭痛に直結する性質で、私にとっては頭痛は寝て休む事が必要なサイン。学校行事やイベントの日は夕方には頭痛でダウン、帰って即寝がお決まり。翌朝には回復する。体調不良時には無理せず休み、こまめにすぐ休むから大病や持病は皆無。私自身の電池は容量が小さいし、フル充電には時間がかかる。でもそれを知っているから大丈夫。

 

はやいスピード、向上、もっともっと、グイグイ、絶対に!、キラキラ、とかそんなのは苦手で、ゆっくり、じっくり、静かに、焦らず、ぼちぼち、適当適度に、淡くひっそり、が好きで自分にはそれがしっくりくるからそっちを選ぶ。

 

家事もあくまで自分のペースでやり、ルーティンを守ってキッチリ完璧に!は絶対できないからそこは手放した。片付いてなくてもまぁ気にしない。辛い時出来ない時はしない。

 

人間関係も、狭くて浅い。深い関わりはごく一部。コミュニケーションが苦手だから、もうそれでいいと割り切っている。たまに家族や近しい友人とゆっくり話すくらいが丁度いい。

 

メイクやファッションも苦手だし興味が沸かず、どうしても着飾った自分に違和感を感じるからいつも自然体そのまま。綺麗を磨くことに労力をかける事ができない...。だから化粧品はもうほぼ買っていない。私はそれで良い、けど自分に合うスタイルは探っていきたいなとは思う。

 

主体的にそこに向き合っていない時の音楽やテレビ、動画などの音も苦手。車、飛行機、家電や換気扇とかの音も。頭が痛くなったりする。関係のない話し声も聞こうとしなくても耳に入ってくるから苦手。混雑している場所には行きたくない。文字も見たくなくても目に入ると気になってしまう。大きい声やイライラした人もダメ。苦手とは離れる。あまり近づかない。

 

 

やりたい!やりたくない...、という波も激しくてモチベーションのアップダウンに翻弄されながら生きてきたけれど、最近はそういう自分の性質を認めてそんなに抗わずその波に身を任せられるようにもなってきた。

 

自分に合わない無理をし続けると、自己否定のループにはまりたちまちダークサイドに落ちる、とこれまでの経験でよくよく身に沁みている。

 

こうして考えてみると、本音を出せない=気持ちや思考を言葉にして表現することはなかなか難しい自分、だけれど、身体や心の本音には素直に生きられているのかもしれない。私は私で大丈夫、これが自分、私のペースで生きていい、ってようやく思えるようになったのかも。

 

 

自分と向き合いたい

久々にブログを書いてみようと思う。

次女を妊娠出産子育てする間に、すっかり離れてしまっていた。。目の前の事に精一杯で、体力気力が足りず、自分とも向き合えずにいたけれど、次女がそろそろ一歳になり少しずつ余裕も出てきたのかも。

私は小さい頃から本音を出せずモヤモヤはずっと溜め込むタイプで、それが常になると自分でも本音が何なのかわからなくなる。わからないというか、そこにあるのは薄々気づいているのに見てみないフリをしているのかな。

片付けや整理整頓が大の苦手で苦痛で、積み上がったごちゃごちゃを見てみないフリする私。あぁ、この目の前にある光景、私の心の中と同じなのかな。

家事育児の隙間時間に、ごちゃごちゃと少しずつ向き合ってみようかなと思い、ただそのままここに書いていこう

 

自己否定さえ否定しなくていい

大人になってから「ジャッジしない」という在り方に出会った。ここで言われていた「ジャッジしない」とは、善い悪いの判断を下さないということ。
それを知り自分を振り返ると、私はこれまでずっと物事を善い悪いで判断していた事に気づいた。おそらく、子供の頃から家庭内の躾や絵本、テレビ、漫画、アニメ、幼稚園や小中高、あらゆる場所での規則などによって知らずしらずのうちに善悪の価値観が育まれ、ずっと世界を善い悪いの色眼鏡をかけて見ていた。自分の思う「善い」からはみ出る事、はみ出す人は「悪い」ものと勝手に決めつけていた。

社会人になってからは、ポジティブ思考が良しという教育を受けいつもポジティブであろうとしていた。でもそれは同時にネガティブになってしまう自分はダメだと自己否定することに他ならなかった。

無理矢理の極端なポジティブ思考がネガティブを産んでいることに全く気づいていなかった。精神的に調子の良い時悪い時の差がものすごく激しかった。そして上司からは波があること自体を否定され、自らも波がある自分を否定した。
これは仕事を辞めて結婚してからも続き、調子が悪くなるたびに自己否定し自分自身を責め続けてきた。

ネガティブを否定するポジティブ思考はポジティブじゃない、善し悪しでジャッジせずネガティブな部分も肯定できてこそポジティブ思考だ、という考え方に最初に出会ったのはいつだっただろうか。多分ポジティブになれない自分にかなり悩んでいた頃。
でもそれを知ってからも、それがどういう事なのか本当のところはよく分かっていなかったように思う。

だからそれ以降も何度もネガティブな波にさらわれ底に落ちて自己否定のループに苦しんで、そこで必死にもがいているとまた違うところで「ジャッジしなくていい」という考え方に出会う。それを何度も繰り返してようやく腑に落ちてきた。

自己否定することも否定せず「あ、私今自己否定してる」と気づいてあげ、「そうか、辛いよね」とその気持ちを味わってあげるだけでいいらしい。
そうするとしばらくしてすうっと辛さから抜けられる。ネガティブな感情を許し、ネガティブもいいよ必要だよ大丈夫だよ、と受け入れてあげる。それって大きな愛なんだなと今はすごくよくわかる。

自己肯定感って、何かができた時、頑張っている時に肯定される(認められる、褒められる)よりも、できない時や頑張れない時の自分も許し受け入れてもらえた時にこそ高まるんじゃないかと思う。

「自分はダメな部分があっても価値がある」
「こんな私も私で魅力的なんだ」
「どんな自分も愛していい」

それこそが真の自己肯定かもと気づいたから、自己否定する自分も許し認めて愛してあげることにした。

 

 

 

自分に価値がほしい

私は若い頃から自己啓発本やセミナー、健康系の講座、料理教室、英会話学習教材、片付けのオンライン講座など色々と手を出しお金もかけてきて、今現在も気になるものがあるとすぐ飛びついてしまう傾向にある。でも大抵続かない。途中で挫折しては罪悪感や自己嫌悪に苛まれ、自己否定のループにはまる。

今になって思うのは、私はそうやって自分の外から自分の価値をもらってこよう、自分の価値を簡単にお金で買おうとしていたんだなと。そこの中身を心の底から欲していた訳ではなかったのかもしれない。

 

私自身の価値とは何か。おそらく、私がただ私である事だけで価値はあるんだろう、と今の私は感じている。私が私の肉体と魂で体験する全てのものに価値がある。私は私としてこの世界を体験したくて生まれてきたのなら、そのどんな体験にも良し悪しはないのかもしれない。私は今の私で終わりではないと思っているし、起こる全てが自分の魂が今世でやりたい事なんだろうなと思うから、悩んでも苦しんでも辛くても、私は私がその時向かいたいと思う方向に行くしかない。プラスとマイナスは表裏一体で両方とも絶対ある。両方とも受け入れて味わってしまおうと今の私はただそう思っている。

 

傷ついた記憶

多分小学校低学年の頃のこと。父親にひどく怒られた記憶が2つある。父は普段仕事で忙しく、家事育児は母の仕事で父と遊んだ記憶はあまりない。当時よくあった亭主関白な家庭だったような気がする。そんな父に、些細なことで怒られた。たまたま機嫌が悪かったのかもしれないし、父が育った時代は体罰が当たり前だったから父が過去にされた躾と同じことをした可能性は大いにある。でも父に怒られた記憶はその2つしかない。私には1歳上の兄がいて、両方とも兄と共に怒られた。

傷ついた記憶の1つ目は、原因は全く覚えていないが父に怒られて家から出され、鍵をかけられて、窓の外でどんなに泣き叫んで窓をいくら叩いても入れてもらえなかったこと。どのくらい時間が経ってから家に入れてもらえたのか、泣き叫んだ後の事は全く覚えていない。ただ、その時感じた絶望感、もう何をしてもダメなんだ、私は受け入れてもらえないんだ、という奈落の底に突き落とされたような感覚、強い悲しみを強烈に覚えている。

2つ目は、父にビンタされたこと。こちらの理由は覚えている。地域のマラソン大会に家族で出場する日、兄と近くにあった遊具で遊んでいてスタートの集合時間に戻って来なかったこと。それでビンタされた。ビンタの記憶はものすごく強烈だ。痛み、驚き、恐怖、ショック。ただでさえ傷つきやすいタイプだった私には相当なものだった。幼い子にビンタなんてよくできたなと思う。きっと父も子供の頃自分の父親にされたんだろう。

母に怒られた記憶もほぼない。だから余計この2つだけ鮮明に刻み込まれている。

 

私が「良い子」であろうとし、そうでない自分を否定するようになったのはこの2つの出来事が影響しているのかもしれない。良い子じゃないと受け入れてもらえない、と学習したんだろう。母や父は自分の子供達とよく話す方ではなく、上記の怒られた記憶でも問答無用な感じがあった。両親がどういう気持ちでいるのかを聞かされた記憶はないし、私自身も自分の内面を話すことはなかった。悩みも本音も家族にすら打ち明けないで生きてきた。本当は、もっとお互いに心の内を出し合える関係に憧れていた。

 

ドッヂボールのトラウマ

小学生の頃体育でよくやったドッヂボール。私は大嫌いだった。今もトラウマ級に嫌い。当時の自分の気持ちを思い出すと涙が滲み胸が苦しくなる。ドッヂボールは私にとって恐怖の時間でしかなかった。

ボールをキャッチすることも投げることも苦手だから、ひたすら当たらないよう逃げるしかできない。いつもボールをこちらに向かって投げる人の恐ろしい敵意に慄いていた。投げる役の人は大抵上手で強いボールを投げるから当たると痛いし。当たりたくないから必死で逃げ、逃げるからこそ恐怖の時間は長引き、周りの人が減って相手からの敵意が自分に向けられる確率も上がり、恐怖のレベルも上がる。その恐怖といったら、私には恐怖映画で段々と人が殺され、生き残っている人くらいの感じだ。こんな時間を、私はただひたすらに耐えていた。

「やりたくない」と誰かに伝える選択肢は、当時の私には思いつきもしなかった。なぜだろう。私にとって授業は絶対に出席しなければならないものだったからかな。体調が悪くてもギリギリまで耐えていたし。あまり本音や悩みを言えないタイプだということもある。

これを思い出す事は辛いけれど、恐かったね、辛かったね、とあの頃の自分を抱きしめて当時の私を癒す事に繋がった気がする。

やりたくない事をやりたくない、嫌い、苦手、って言ってもいい、それはダメじゃないしそんな自分も認めてもらえるんだと最近になってやっと理解できるようになった。

これを思い出していた時に、6歳の娘にも話した。「私は子供の頃ドッヂボールが嫌いで恐かったんだよね。でもやりたくないって言えなくてね」と。それで、娘に学校でどうしてもやりたくない事があったらどうする?と聞いてみた。そうしたら「その時はやらないで他の事をしてもいいんだよ」とのこと。先生やクラスが、お互いを認め合うあたたかさを持つ事に感謝した。

日本はなんとなく苦手でもどうにかしてやらせる雰囲気があるように感じる。苦手も認め合う雰囲気があるとみんな生きやすくなるのにな。苦手をやらせるとしても、そのアプローチがまずその子の気持ちに寄り添うところからのスタートである事を願いたい。

片付けられない私

私は片付けがものすごく苦手。これもずっとずっと自己否定に繋がる要素だった。

 

血液型でいうと私も実家家族も全員がO型。親戚にもO型は多い。O型の特徴と言われる、大雑把で細かいことはあまり気にしないという性質なのか、実家、祖父母宅、親戚宅はあまり片付いていないし、それを気にしている感じはない。片付いていない家が当たり前だった。そしてもれなく私も片付けが苦手。とりあえず置く、出した物を元に戻せない、そもそも物の定位置を適切な場所に決めることから苦手。

それに加えて、何でももったいなくて捨てられない。サスティナブル(持続可能な暮らし)やゼロウェイスト(ゴミを出来るだけゼロにする)の考え方を知ってからはますます捨てることに罪悪感を感じる。買う物にはほぼゴミがついてくる悲しさ。頑張って片付けをしていてもゴミの多さや罪悪感で辛くなり、縄文時代に暮らしたい!くらいの気持ちになる。片付けが全く楽しくないから続く訳がない。いつも心にダメージばかりが積み重なり、負のループにはまる。

 

そこでどうすれば楽しめるかを考えた。1人でやるのが無理なら誰かとやればいい。私が片付けをしている間、友達と電話して友達にそこにいてもらうことにした。一緒に話しながらやると頭は会話に集中するから、片付けで発生する罪悪感に捉われ過ぎない。会話が楽しいから、その時にやる片付けも楽しくなってくる。私にはこれが合っていたみたい。今後も少しずつ、でも確実に、片付けを進めていくつもり。

 

片付けられないタイプは一定数いる気がする。現代社会は物が過剰すぎるという原因もあると思う。物が溢れる家から、いるいらないの判断をしてものすごい量の断捨離をして、いるものの使用頻度や使う場所を考えて定位置を決めて、部屋の収納場所やそのサイズに合わせた収納を決め、それを随時改善維持する。これが出来るってすごい能力だと思う。片付けが出来る人の方に特別な能力があって、出来ない私は一般的なんだと思うことにした。

とは言うものの、片付いてなくて物が散乱し探し物ばかりの日々はそれなりのストレスもあるので、協力を仰ぎながらコツコツ楽しく頑張ろう。